2012-10-25

宮城県石巻への祈り~大川小学校


10月22日

石巻にきた。
迎えてくれた母子、その子はすぐに私の手を取って歓迎してくれた。
小さな手にあふれる愛を感じる。
この世に生を受けてまだ3年というのに
このような手にしたのは何なんか、その手にこの1年半の深い歴史を感じた。

海の幸のランチのあと
大川小学校へ向かう。
なんという晴天だろう。どこまでも雲一つない。昼過ぎなのに青く青く晴れ渡っている。
そしてその光はまっすぐ石巻に降り注ぐ。障害物が何もないのだ。

何も知らない人はこの風景を見たら埋立地だと思うのかもしれない。
しかしそこはおそらく何千年、何万年とつづいた人々の生活の場に違いなかった。

橋の一部が流されたままになってその数メートル離れた位置に新しい橋が架けなおされている。
それだけ移動したことがわかる。
宮城県石巻市 大川小学校
押し寄せた津波(TUNAMI)の力だ。

大川小学校の建物が見えてきた。
円形の壁を持つ建築、
グランドの内側だろうか、さらにコロセイムのように階段状のコンクリートがのこっている。
催し物をするのによい空間としてつくられていたようだ。

碑の前は祭壇となり、花束や線香を供えられるようになっていた。
一心にその手入れをしている女性はおそらく遺族だろう。

赤とんぼが飛んでいた。何匹かが舞っている。どこから来たのか、いつか高原でこんなとんぼの風景を見たが・・・。

手を合わせる。

これまで受け取ったことを祈るのはこの敷地のどこだろうか・・・?
教えてほしいと唱えた。

連れだってくれた幼女は長く手を合わせている。誰よりも何もかも知っているのかもしれない。小さな背中なのにそんな気にさせる姿。

私は無力感を覚えた。しかし次には再び願ったのだった。
「どうか私の成すべきことを教えてください。」

そして校舎に近づく。一歩ずつ進める足の下には被害にあった品々が埋もれている。生活用品の一部が見え隠れする。

とんぼが数を増してきた。
異様なほどに多く飛んでくる。どんどん増えた。赤とんぼの群れだ。
すぐそばをすぐ上を
そして空高く飛び回る。

群れに包まれながらその場で立ったまま目を閉じた。

先ほどと変わらず明るい陽射しに照らされて
瞑想視界を見渡す。

現れているのは伊勢巡りで出会った斎王たち。
そしてずっと以前からいてくれる存在。

「どうか緑の光る玉を。そしてこの地で散った子供らの魂をそこに入れてください。」



―それは昨年の暮れのこと―
薄い緑の光の玉が無数に私の手元に届いた。
泡のようにシャボン玉がどんどん集まって私の手、腕、身体の周囲にあふれかえっていた。

あれはなんだったのですか?と思う出すたびに不思議だった。美しい球体だったのでみんなにあげる、たくさんあるからみんなにあげる。と思った。
土産物を配るようにあげていい、と思っていたが、実際はどんなふうに配るのか、どんなふうに使うのか見当もつかなかった。

それが数日前、石巻を巡ることになってから降りてきたメッセージでわかったのだった。
ー緑の光る透明なこの玉にこの石巻で津波にさらわれた子供たちの魂を入れて光に返すー

そうしたら
涙にくれるその家族の前で
光の玉に乗った子らは自由に遊びながら
「大丈夫、大丈夫、楽しんでいるからね」と笑顔を向けてくれるようになる。
励ましてくれるようになると。

そしてありがたいことに伊勢の斎王たちが、その子らをお守りしてくれる存在となる。
斎王たちの笑顔。
「私たちが見てますよ、誰かに見守られていれば子供たちは安心して遊んでいますから。」



はたと目を開ける。
あれほどいた赤とんぼは影も形もない。

あるのはただ青空ー
雲一つない。

赤とんぼが子供たちのために光の玉を取りに来てくれた。

どうもそうらしい。