2012-02-29

雪の日に

この雪の日に
いつもと違った「ところ」にいたとしたら
この詩に身を投じてみてください。
きっとあなたの魂も・・・。

          ****+++****+++***

私の魂「ひとの想像力というものは、
   なぜ、壮年を遥かに過ぎて、なお、
 愛と戦いのしるしであるものを忘れないのか。
 古き夜を思え。
 それは、想像力が 
 地を蔑み、
 知性が、あれ、これ、また、あれと、
 いたずらにさまようことを蔑みさえするのであれば、
 死と生の罪から解放してくれよう」
     思潮社 加藤祥造編 『イエーツ詩集』 「自我と魂の対話」より抜粋

2012-02-28

2・28事件

今日は、1947年、台湾で2・28事件が起こった日です。日本ではあまり知られていないかもしれませんね。教科書に載っておりません。またこの日は、台湾の平和記念日になっています。
2・28事件は中国国民党に対する現地の人々の反発を示す事件です。 

その前に台湾が、日本の植民地だったことを知らない方もいるのではと思ったりすると何か悲しくなるような・・・。
歴史の知識は膨大ですから、年代を忘れてしまうなんてことはいくらでもありますが、要になる内容に関しては知っていたほうがよいことは言うまでもありません。

中国の一部が日本に支配されたり、韓国、北朝鮮が日本の植民地だったことはそれぞれの国が声を大にしていろいろ批判や非難を発信してくるので、ご存じな人も多いでしょう。

台北の二・二八記念館
ところが、台湾からはあまり日本に対して攻撃的な発言を聞かないのはなぜなのか、ご存じでしょうか?

日清戦争の結果、日本は台湾を手にします。植民地政策は国際的にも認められた時代でした。その支配は日本が日中戦争、太平洋戦争に敗れるまで続くのですが、この半世紀にわたる日本の台湾支配は、比較的現地の様子を見ながら統治していた経緯があります。それは、その後の中国、東南アジアに対する侵略戦争といわれる物資略奪の支配とは比べものにならないところがあるようです。

1945年、日本が敗退し、その後中国国内の内戦が再開します。内戦に敗れた蔣介石率いる中国国民党は、台湾に逃れます。(この記述で日本の歴史教科書は終わっています。)そこでは国民党は、余裕がなかったためか台湾の要人をことごとく捕え、葬り去って強引にそっくり台湾の地を手に入れたのだそうです。

その残忍さは、現地の人々に「日本の支配のほうがよかった」と言わせています。

台湾の2・28記念館をおとづれた際、当時を生きた80代の元教師の話をお聞きしたことがあります。日本人にはきわめて好意的で、ついつい3時間ほどお話を聞いてしまいました。素晴らしい日本語でした。



2012-02-27

イエーツ詩集


http://akizukiseijin.wordpress.com/

「イエーツ詩集」を手に入れた。
イエーツは1865年にダブリンに生まれ、1939年フランスで73才で没している。
百年前の世代を生きた詩人だ。
詩集は初めから読む必要などない。
何となく開いたページには「自我と魂との対話」とあった。

『私は甘んじて同じ生をもう一度、いや何度でもくりかえす。』

今、彼はどうしているだろうか、そんなことを思った。

石ころの言い分 その1

石ころだと思って甘く見るなよ!
隠れた才能、能力、エネルギーがあるんだ。
女だけが信じると思っている奴はどこにいる?
そいつこそ俺にあたってしまうぞ ボカーン!
これから俺様がよーく
お話してあげる❤

まず第1に誤解を解いておこう。そう、誤解さ。
少年、少女、おやじに熟女、いや違った紳士、淑女のみなさん!
Listen to me!

さっきエネルギーって言っただろ?
そう、普通はパワーストーンとか言って「パワー」があるっていわれてる。
これは金運を呼ぶストーンだとか
恋愛運アップとか
成功を呼ぶとか
健康になるとか・・・。

よーく考えてみな!
金運をあげるのは誰なのか
恋愛をするのは誰なのか
成功するのは誰なのか
健康になるのは誰なのか

そう、あ・ん・た、君だよ!

なになに、わかってるって?!

だったらなんで俺様にい・ぞ・んするの?依存だよ。

パワーというと
何か自分とは関係ないところから現れるみたいだろ?

たとえパワーだとしてもそれを出すのはあなたなんだよ。

じゃあ俺様は本当は何するのかって言いたいだろ?

えっへん!
こう見えても俺様は君をサポートするのがお役目なのさ。
つまり、お手伝いだね。
君のエネルギーを保護することを手伝って、君のエネルギーをサポートして、
次に君のエネルギーの変容のサポートだよ。
目的はこの変容を助けることだな。

途中から意味不明かい?辞書引きなさいよ!辞書!!
なんでもかんでも教えてもらおうなんて思ってんじゃないよ。
自分でも調べな!
ま、この辺はその2、その3、その4・・・・(どこまで続くか・・・)
で読んでね❤

おっほん!
君にはいろんなエネルギーがある。
そこに俺様のエネルギーがちょっとだな、あ、ちょっとだよ、
あ、ちょっと働きかけてやる。
すると、君が自分でちょっと気付いて、ちょっと変わってもいいかなと思う、
んで、ちょっと変わろうとする、
そんでもって、ちょっと俺様が・・・

なに?!ちょっとなんだから威張るなって?
だって君、今まで俺様たちを神様みたいに崇めてたじゃないの。
もしくはばかにしてたでしょ?

今日から違うって?

あ、そう?

じゃあ僕も私も素になっていいかしら?





2012-02-22

新月です

月の満ち欠けと人の関係はすばらしいととっくの昔に知られていたのに
新しい発見は、古い認識を打破すると勘違いした人のなんと多いことか
発見者以上にこれまでの叡智を切り捨てて記憶から削除してしまう
それは実は一般の人々の認識力に由来する
不思議の源泉は遥か彼方まであるということを優れた科学者たちはよく知っている

科学的な思考の現代のみなさんへ
新しい知識を話すときは、前置きをつけてみましょう
『これはまだほんの序の口です。知られていないことのほうが多いのです』

そしてこう言わないでくださいね
豊かな泉の滴たちがまだ発見・解析されていないだけなのに
ない』と

見えないところも含めるとすべては完璧にそろっているのです
バランスの素晴らしさを探求しよう

2012-02-21

永い学び


持ち主が誰でもそこは神聖な学び舎
笑いと笑いと笑いと涙
その美しさは誰もかなわない
天使だって羨むくらい
生まれたての赤ん坊から17歳まではね

誰の家だろうがそこは神聖な学び舎
おとなになれたらそこを用意してある
どんだけ広いか試してごらん
宇宙人も驚くだろう
それはどこまでも続く
たとえあなたが生まれ変わっても

2012-02-20

ロウバイだね

先日夜、散歩してたら暗い道筋に梅の花が見えた。
見ると満開に近い。
梅が開花したニュースは聞いたけれど、満開とは早いなぁ。良い香り。

枝を折るわけにもいかないので落ちているのを拾ってコートのポケットに入れた。
つぶれないでね・・・。
家に帰りよく見ると
うっすら黄色い
黄色い
黄色い

蝋梅(ロウバイ)でした・・・。


2012-02-17

老子を楽しむ・・・はじめに

老子に関する2冊の本を読む機会をえた。すると解釈にかなりの違いが・・・。驚きだったが、同時に解釈の自由を得た気がした。

生まれたときにはすでに歳を重ねた老人の姿、悟りを得たまま世にでたということのようです。
以下のサイトでは老子が産湯に浸かっていますがかわいい小さな老人であたりは光に満ちて背後には虹色が・・・・。
スピリチュアルリアリティでは、人は生まれたときには自分が何者であるか(悟りの境地)を忘れた状態で生まれるのですが、老子は宇宙の叡智を留めたままやってきたいうことになります。絵にするときに虹を描きたくなるのは当然ですね。

 


http://no.wikipedia.org/wiki/Fil:Baby_Laozi_Qingyanggong_Chengdu.jpg

2012-02-16

イギリスの古い詩より

愛する人に林檎をあげる

私は愛する人に芯をのぞいた林檎をあげる
私は愛する人に扉のない家をあげる
私は愛する人がくらすにふさわしい宮殿も
そして鍵もなしに彼女はその扉を開けるだろう

私の頭は芯をのぞいた林檎
私の思考は扉のない家
私の心は彼女がくらすにふさわしい宮殿
そして鍵もなしに彼女はその扉を開けるだろう

I will give my love an apple without e'er a core,
I will give my love a house without e'er a door,
I will give my love a palace wherein she may be,
And she may unlock it without any key.

My head is the apple without e'er a core,
My mind is the house without e'er a door.
My heart is the palace wherein she may be,
And she may unlock it without any key.

 
*この地方の古い民謡は、曲も詩もイギリスかスコットランドかアイルランドかケルトかという議論があります。いずれにせよこの地域には美しい詩や物語などがたくさんありますね。もちろん日本にもたくさんありますが。


この詩は愛する女性を思うそのせつなさがよく表れています。英文では"I will give my love"をくりかえすことで思いを強調しているのがわかります。日本語は主語を省略することが多い言語で、省略して表現するほうが強調に成功する場合がありますが、あえてそまま訳してみました。

曲ではこの言葉が2回目3回目になるにつれ音が高くなっています。歌い手がその音に声を乗せるだけで自然に心の高まりを表現することができるようになっているのです。当時流行ったことがうなづけます。

さらに内容は、女性に捧げたいと思った林檎や家そのもに自分自身を例えることでいっそうの恋心や愛の深さをうたっていきます。物質世界の究極の「無条件の愛」の表現といえるでしょう。

また、このころの詩では、愛する者のためなら命も捧げるとか彼女がこの世にいなければ自分も死ぬ、などの表現が数多くあります。ところがこの詩は、思い人を自らも「存在する何か」となることで保護してやまない包容力に満ちています。

こうした伴にいることによる広い深い愛情表現は、女性の心を満足させるばかりでなく、万民の心をつかみ、現代においても感動を与えてくれているといえるでしょう。


*そこでこの詩のテーマを無条件の愛として、主語を”神なるもの”に置き換えて表現することを思いつきました。この神は、キリスト教など、特定の神をさすものではありません。



”I will give my love an apple”に寄せる創作詩

神は愛する者に林檎をあたえるだろう
 その林檎の芯はとってある
神は愛する者に家をあたえるだろう
 その家に扉はない
神は愛する者に宮殿をあたえるだろう
 そこは居心地がよい
神に愛される者は鍵がなくても扉を開けるだろう

神聖な私の頭は林檎である
 芯はとってある 食べるがよい
神聖な私の思考は家である
 扉は開いている 入るがよい
神聖な私の心は宮殿である
 とても居心地がよい いつまでも住むがよい

そこに住むための鍵というものはない




http://www.folkinfo.org/songs/displaysong.php?songid=298&pagenum=1&reverse=false
http://www.kls4u.com/shakable/music/sally_garden.htm

2012-02-14

日向ぼっこ

幼子が
縁側でひとり
日向ぼっこだろか
縁側板の年輪
水の波紋のようにつながって
眼を追うほどに遠くにゆく
雨ざらしの縁側
グレーにまとまった板のすぐ上は庭の空間
空間とは何だろか
幼子は空気を見てみる
緑の垣根はぼんやりと空間の光と融合する
土も草も融合し空間と一体となる
縁側も一体となる
幼子も一体となる
ふと幼子は自らを見ようとした
あたりは一瞬にしてひずみつぶれて光に吸収された
眼の中には太陽のようなそうでないような
白い広い黄色い光の球と
突き抜けるような光線
はたと我に返る
私は光だったと思い出してはいけない
幼子はこの世を選んだのだ

軒下の雪

軒下を眺めると
粉雪が舞っていた
じっと眺めると
吹雪になった
つららがのびるように
粉雪は降り積もり
曇った窓ガラスを
外から照らす雪の光線

常緑樹の葉に
さらさらとこぼれた
結晶をごらん
六つの矢をごらん
人のこころに忍び込み

深夜を横断する雪の使者
人の作った街灯に照らされた
雪の斜線
人のこころをどうする気だったのか
私をどうするつもりだったのか

2012-02-12

病める人々へ

天から休みをもらった

それを信じよう

自分の真実に許可を出そう

寒い日々のなか、確実に太陽は長く照らし始めているのだから

休みという新しい門出


長らく許可を出さずにいたのだということを受け入れよう

休暇のつもりも休暇でなかった事実を認めよう

快復は新しい出発

天の囁きは神聖な自分の囁きだと

喜びをもって受けとめよう

2012-02-11

2月の祈り


陽射しを浴びて薔薇の芽が赤く色づく
新しい枝の滲み出るような赤
赤い湖で水浴びをしてきたのだろうか
熟成された艶めかしさが人を捕える
いつの間にか薔薇が庭に来ている
チューダー・ローズ

赤い枝から生命の息づきと力が溢れ
私の体にその波が絡まり
体のフレームを動かし清め白くなる
そのささやきに身震いする

無限な薔薇のシュートよ
このまま全身を
そのまま住処全体を
苦しみの地域を
孤独な地球を
どうぞ清めてください

2012-02-09

グノーシス派

ナグ・ハマディ文書はグノーシス派と関連する古文書で1945年エジプトのナグ・ハマディ村で発見された。ユダについても新たな認識を促すものだそうだ。グノーシス派は、これまでの一般見解ではキリスト教の異端として徹底して迫害をされ存続しつづけることができなかった。そのためかれらの霊性や信仰、真意は曲げられて伝えられている可能性がある。イエスの存在意義やキリスト意識を正しく認識していたのはもしかしたらグノーシス派だったかもしれない。検証はまだまだ続くだろう。プラトンに通じるというのも個人的には刺激的である。
また、とりわけ興味深いのは、イエスがバプテスマを受けたときいわゆる聖霊が降りて霊的な存在におしあげられ、人々に神の国についての真の知を広めようとした。ところが磔刑がいいわたされ、その肉体の死の前に神が抜けだしたのだという。それゆえキリストは磔にされていないということになるのだそうだ。磔にされ息絶える直前のイエスの有名な言葉がある。
神よ、何故私を見捨てたのですか

いずれにしても慎重に解き明かす必要はある。主流が主流たる所以には必ず権力が関わり物質的な人間のエゴが映し出されているものだ。それは政治だけのことではなく、哲学・宗教にも及んだことは否定できない。



The Nag Hammadi Library, a collection of thirteen ancient codices containing over fifty texts, was discovered in upper Egypt in 1945. This immensely important discovery includes a large number of primary "Gnostic Gospels" -- texts once thought to have been entirely destroyed during the early Christian struggle to define "orthodoxy" -- scriptures such as the Gospel of Thomas, the Gospel of Philip, and the Gospel of Truth.The leather-bound codices found at Nag Hammadi in 1945
http://www.gnosis.org/naghamm/nhl.html

2012-02-07

若い人々への手紙

メッセージを受け取っても大抵はそのうち忘れてしまう。
日記に書いてもあとから何か腑に落ちなくなり消してしまう。
そんな繰り返しにノートが費やされて何冊もの紙の厚みにうんざりしてただ自問自答を繰り返す。
自分以外はそうではないと
自分以外は輝いていると
そんな言葉にいつかメッセージが消却される
思い出すことができなくなり思い出すことも忘れる

ただそんな気がしているだけ、という
これがメッセージ

今どこにいるのかはその人だけのもの
どこにいるかは自由に決められる

緑の雲

真実はどこか
嘆きのなかに涙が枯れ
泉に水を求めるものが現れたとき

大きな幸いが訪れることを喜べ
天地は豊かな保護を申し出るだろう

白は黒であって黒は白である
赤は緑であって緑は赤である
光が闇と一体となったとき
真実が明かされる

流され続けた血は木々を茂らせ梢を担い
無限の風となって再び舞い降りるだろう
聖霊はすでにここにあって虹を織りなす

それは己から顕れた
緑の雲は知とともに大地にすでに降り立っている

真実の音とは何か
泉に映る森の響き
小鳥が夜明けに囀るように
そして飛び立つように
水に溶ける石のように
響きは永遠に続くだろう

静寂の意味がすっかり語られたとき
緑の雲のなかを泳ぐのをやめ雲の意味を知るだろう




2012-02-06

方法3


未熟なときは眼をとじよ
自らの大海や原野を眺めよ
その空気を感じとれ
その色をみつめよ
その形を刻め
その線と点と曲線と

そして再び眼を開けばよい

2012-02-05

惑星配置


海王星の話題がたくさん。
これから世界中の暦などの節目ごとに変化への予感が語られるのだろう。

新しい時代や社会を目指して、力強いのは若者とは限らない。行き詰った感覚を映し出しては泣いたり嘆いたりしていた誰もが新しいステージに向かいたいに違いない。そう、誰もが明るいほうへ向かいたい。
でも実はこれまでの矛盾も苦しみも全部背負っていくことも知っていたい。違うのはただ、しなやかに軽やかに背負うのだ。
「ボイジャー2号」がトリトンに接近して
撮影した海王星(左)とトリトン。
(提供:NASA/JPL/USGS)





2012-02-03

過去の往来

一定の共通項を持って出会う人たちがいる。誰もがそうかもしれない。類は友を・・・ということで最近の言葉では引き寄せということになる。共通項は自分の課題でもあり相手の課題でもあるかもしれない。ただ大切にしようと決心してみる。

過去生にとらわれている人も多いようだ。一時期の流行のようにメディアに登場してきた。一般的なマスメディアは新しい利益を求めていることは否定できない。でもよく見るとその中にも真実があることに気づく。その気づきはたいていあとから訪れる。それもその話題に人々が飽きたころに。もう知っていると思い込んでしまったころに。

過去生も大切に扱おうと思う。時々眼前を通り過ぎても引き留めずそのまま穏やかに眺め通り過ぎてもらおう。また再び往来するまで。

2012-02-02

とある過去の瞬間

忙しすぎたのは過去のことで今はゆっくりしなさい、と言われているみたい。

その過去においてガーデニングしながらふとこれから何回この花を植えられるだろうか、と考えたことがあった。花々は基本的に年に1度しか植える機会がない。そう考えると本当に数えるほどしかなかった。100回だとしたら100年生きることになるのだから。同時に空しくなった。あの時私は大きな分離感にみまわれた。

それが今はここにいることになった道のりでもある。
夕暮れに小鳥が庭先に来て教えてくれた。そして日向に出したジュリアンを室内に入れてあげた。

方法2

2月1日は聖ブリジットの祝日
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なにかを待つ人々と何かを恐れる人々
そんな気配が折り重なっている
一度芽吹きを決心したのに驚いたように停止して
球根植物が時を見極めようとしている
愛は遠くない
青のむこうに囁くようにけれど力強く呼吸している
白い息の向こうをしっかり
でもさりげなく
耳を澄ませて
そして見てごらん
深い呼吸の奥底を地表とともに地殻とともに
そして輝くクリスタルの表情とともに
明日でも昨日でも今日でも今でも
あなたをこそ待っているというのに