愛する人に林檎をあげる
私は愛する人に芯をのぞいた林檎をあげる
私は愛する人に扉のない家をあげる
私は愛する人がくらすにふさわしい宮殿も
そして鍵もなしに彼女はその扉を開けるだろう
私の頭は芯をのぞいた林檎
私の思考は扉のない家
私の心は彼女がくらすにふさわしい宮殿
そして鍵もなしに彼女はその扉を開けるだろう
I will give my love an apple without e'er a core,
I will give my love a house without e'er a door,
I will give my love a palace wherein she may be,
And she may unlock it without any key.
My head is the apple without e'er a core,
My mind is the house without e'er a door.
My heart is the palace wherein she may be,
And she may unlock it without any key.
*この地方の古い民謡は、曲も詩もイギリスかスコットランドかアイルランドかケルトかという議論があります。いずれにせよこの地域には美しい詩や物語などがたくさんありますね。もちろん日本にもたくさんありますが。
この詩は愛する女性を思うそのせつなさがよく表れています。英文では"I will give my love"をくりかえすことで思いを強調しているのがわかります。日本語は主語を省略することが多い言語で、省略して表現するほうが強調に成功する場合がありますが、あえてそまま訳してみました。
曲ではこの言葉が2回目3回目になるにつれ音が高くなっています。歌い手がその音に声を乗せるだけで自然に心の高まりを表現することができるようになっているのです。当時流行ったことがうなづけます。
さらに内容は、女性に捧げたいと思った林檎や家そのもに自分自身を例えることでいっそうの恋心や愛の深さをうたっていきます。物質世界の究極の「無条件の愛」の表現といえるでしょう。
また、このころの詩では、愛する者のためなら命も捧げるとか彼女がこの世にいなければ自分も死ぬ、などの表現が数多くあります。ところがこの詩は、思い人を自らも「存在する何か」となることで保護してやまない包容力に満ちています。
こうした伴にいることによる広い深い愛情表現は、女性の心を満足させるばかりでなく、万民の心をつかみ、現代においても感動を与えてくれているといえるでしょう。
*そこでこの詩のテーマを無条件の愛として、主語を”神なるもの”に置き換えて表現することを思いつきました。この神は、キリスト教など、特定の神をさすものではありません。
”I will give my love an apple”に寄せる創作詩
神は愛する者に林檎をあたえるだろう
その林檎の芯はとってある
神は愛する者に家をあたえるだろう
その家に扉はない
神は愛する者に宮殿をあたえるだろう
そこは居心地がよい
神に愛される者は鍵がなくても扉を開けるだろう
神聖な私の頭は林檎である
芯はとってある 食べるがよい
神聖な私の思考は家である
扉は開いている 入るがよい
神聖な私の心は宮殿である
とても居心地がよい いつまでも住むがよい
そこに住むための鍵というものはない
http://www.folkinfo.org/songs/displaysong.php?songid=298&pagenum=1&reverse=false
http://www.kls4u.com/shakable/music/sally_garden.htm