生活。
よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつっているのさ
どうにか、なる。
斜陽館 |
太宰治 「晩年」 新潮文庫 より
***
今年7月、青森に行った際、斜陽館に寄った。
太宰治という人は、どちらかというと玉川上水での衝撃的な最期から、性格が暗いのではないか、という印象があるかもしれない。
「走れメロス」はおなじみだろうが、文章もテンポとしては意外にゆっくりしたものがあって、さほど輝かしい勇壮さやダイナミックさというのは伝わってこない。
ストーリーから正義感や義侠心のようなものをあつかっているかのように受け取るのも大きな誤解のように思えた。
「人間失格」もあまりに有名だが、実際に読みこなすには結構な再読と年月が必要かもしれない。
ということだけは常々思っていたのだが、私も太宰に対して正直あまり明るい印象がなかった。
*
斜陽館では、和洋が見事に折衷している家の間取りと金持ちの坊ちゃんの生活を垣間見た。
そして蔵の方へ。
その中には生前の太宰の作品が展示してある。周囲の壁面すべてに作品から抜粋された文字が並ぶ。
蔵の中で四方から発してくる波動をすぐに感じた私は、たちまちそのマトリックスに入ってしまった。何気に音読してみたりしてしまう。蔵の中に声が響いても自分ではあまり気にならない。
そんな浮かれるような軽やかな世界にそこは満たされていた。文章中にはたくさん暗い文言が飛び交っていたりもするのに。
心地よい夢の世界がどこまでも広がり、ここに居たい。通ってこの中で作品を読みふけってみたい。
いつかピカソ館に入ったときも似たような波動の変化を感じたことがあった。このときはまるで子供にもどったように床にすわって寝転んで遊んでいたいと思った。
芸術とは次元を瞬間的にシフトさせるもの、ともいえるのだろう。
世界ががらりと変わる。
太宰治という人の魂には、明るいゆったりした優雅さとユーモアがある。
そして洞察力。
近代の意識を絶妙に読み、戦時下を通り抜ける。外部から入る闇をキャッチしないはずはない。
太宰本来の「純真」さを味わってそのまま何冊か作品を買い込むことになった。