2013-10-31

過去生の記憶



レインボーエンジェル®セラピーにはソウルリーデイングとアカシックレコードリーディングがあります。

練習で互いにやったところ、私は修行僧のようだといわれ・・・。

まぁ悪い気はしませんでした。またそれをおっしゃった方ともうひとり入れた3人でやっていたのですが、3人ともなんか静かな感じのタイプ・・・。

そして言葉がなくともなんか落ち着く。
一方で第3の目が開いた―だったかな、立ち上がって喜びあってる人とかもいるなかで、明らかにカラーが違う。

ああ、

昨年もチャネリングの練習のときに最後にグルーピングしたときもそんなだった。そのメンバーでいまも活動をいっしょにやっていたりする。

んーこれは過去の修行仲間たちとの再会かもしれない・・・?!

でもまた別の方から、スペイン王の名前がでてきたりもしたな・・・。強烈に魅かれるのはスペインの教会だったりはするけどね。

王だったら・・・と想像するのは難しいかもしれないけどなんかそのときの情景がうかんできたよ。



それは自分は裕福で、王族のようないでたちで男なの。

で、一般の道ですれ違ったひとりのねずみ色をした粗末なドレスの女性に求められたわけでもないのに偶然、施しをする。

男は優しさからいいことをしてやったつもりでいたが、

女はひどく嫉んで悔しがった。

持つ者と持たざる者という場面での両者の気持ちの違いがあらわに見える。

王族の男の気づきは「自分はすべての人を救うことはできない」

女の気づきは「他人の施しに惨めさと怒り、そして無力感、このままでいるものか」

一瞬のすれ違いの出会いが互いに際立った感受性を植え付けた。

私は男のほうだったのでさらに言葉を補ってみると

「万民をひとりで救うことはできない、そうできると思うのはおごりたかぶりである。」

さてさてその後はいかなることに・・・

修行は続くのでしょうね。




ちなみにスペインのアルフォンソ1世 (1476年7月21日 - 1534年10月31日は、紆余曲折の人生を歩みながら、作曲家ブリュメルの音楽パトロンでもあった。

ブリュメル※は私が好きな作曲家で何度か歌に取り組んだりもした。めったにうたわれない古い教会音楽です。

アルフォンソがそのパトロンだったとは知らず、あとから調べてつながった。
自分の中ではかなりの驚き。

http://lilian-sound.blogspot.jp/2013/06/etecceteraemorus.html?view=flipcard
※ 「Et ecce terae mortus   
見よ、大地の揺れ動きを 



http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d3/Alfonso_I_d%27Este.jpg

2013-10-28

宇宙人落下



数日前

くらっとくるような高い波動をキャッチした。
伊勢神宮

瞑想。

あれよあれよとヴィジョンの展開がすごいことになった。

昨年から宇宙船のヴィジョンが守護するようによく現れるのだが

これが今までと違って自分が宇宙船のほうへ近づいていく。

そして船体の下部から中へ入って体半分だけ突っ込んで中をのぞく。

人がたくさん横になって眠っている。

へーこうやって乗ってるのかとか思っている。

夢を起きたまま見てるみたいな感じになるのだけど、自分のことも客観視している。

だから意志で切ることもできる。(5次元のヴィジョンというものです。高次の思考体を使っています。瞑想視界も5次元ヴィジョンで観ます。自分なりに次元の整理を、位置づけをしていきます。,)

でもそのまま見てることにした。

すると私はもとの位置にもどりまた宇宙船を見ている。

そして宇宙船の船体の下部の中央から人が落ちてくる。

順番に落ちてくる。体は横のままゆっくりスローモーションで落下する。

ほとんど男性のような感じが伝わる。

そして落ちると立ち上がり

元気に(?)こっちに向かってくる。それはエネルギー体だ。

目の前にくるが顔とかはわからない。

そして私についているガイドに挨拶をする。

握手するような和やかな雰囲気が伝わる。

何度が繰り返す。

そのうちきりがないような気がしたので切ってしまった。

ほほう・・・。







2013-10-26

太宰治の波動


生活。


よい仕事をしたあとで

一杯のお茶をすする

お茶のあぶくに

きれいな私の顔が

いくつもいくつも

うつっているのさ


どうにか、なる。

斜陽館



   太宰治 「晩年」 新潮文庫 より

***

今年7月、青森に行った際、斜陽館に寄った。

太宰治という人は、どちらかというと玉川上水での衝撃的な最期から、性格が暗いのではないか、という印象があるかもしれない。

「走れメロス」はおなじみだろうが、文章もテンポとしては意外にゆっくりしたものがあって、さほど輝かしい勇壮さやダイナミックさというのは伝わってこない。
ストーリーから正義感や義侠心のようなものをあつかっているかのように受け取るのも大きな誤解のように思えた。

「人間失格」もあまりに有名だが、実際に読みこなすには結構な再読と年月が必要かもしれない。

ということだけは常々思っていたのだが、私も太宰に対して正直あまり明るい印象がなかった。



斜陽館では、和洋が見事に折衷している家の間取りと金持ちの坊ちゃんの生活を垣間見た。

そして蔵の方へ。

その中には生前の太宰の作品が展示してある。周囲の壁面すべてに作品から抜粋された文字が並ぶ。

蔵の中で四方から発してくる波動をすぐに感じた私は、たちまちそのマトリックスに入ってしまった。何気に音読してみたりしてしまう。蔵の中に声が響いても自分ではあまり気にならない。

そんな浮かれるような軽やかな世界にそこは満たされていた。文章中にはたくさん暗い文言が飛び交っていたりもするのに。

心地よい夢の世界がどこまでも広がり、ここに居たい。通ってこの中で作品を読みふけってみたい。

いつかピカソ館に入ったときも似たような波動の変化を感じたことがあった。このときはまるで子供にもどったように床にすわって寝転んで遊んでいたいと思った。

芸術とは次元を瞬間的にシフトさせるもの、ともいえるのだろう。
世界ががらりと変わる。

太宰治という人の魂には、明るいゆったりした優雅さとユーモアがある。
そして洞察力。

近代の意識を絶妙に読み、戦時下を通り抜ける。外部から入る闇をキャッチしないはずはない。


太宰本来の「純真」さを味わってそのまま何冊か作品を買い込むことになった。






2013-10-24

斎王とともに


斎王さんとの霊的な出会いは昨年2012年の夏だった。

ライトワークの内容が降りてきて伊勢に行くことになっていた。



10年以上前にも行ったことがあり、すぐに内宮、外宮意外に斎王の森に行くべきだと感じて行って来たことがあった。

歴史関係の仕事をしていたこともあるし、学芸員の資格もあったので遺跡もすぐに気にとまる。

おかげ参りが終わると皆横丁で遊んであとは牛肉を食べるか伊勢海老を食べるかだ。真珠をみてもいいね。と

でもわたしは気の向かない夫を引きずって斎宮跡に行ってみた。思えばここから縁に気づいていることになる。出来うる限り資料も買い、タイミングがあれば教材にもした。



そんなこんなでライトワーカーの境地のなかで再び出会うことになるとは・・・・。

それも斎王並びにお付の大行列を観るところから始まる。

それらはまだいわゆる幽界のものたちの姿だった。
はじめこの状態では私がしんどいので勘弁してくれと頼んだ。すると彼女らはひどく悲しんで楽しみにしていたのにと騒いだ。

で高次にお願いしたのだ。これはどうしたらいい?と。答えはきた。

実際に伊勢に行くまでの間、何度も瞑想する。

するとそのたびに斎王一向は吉祥天の光を浴びて急激に成長した。
すっかり光の存在になり、そのうち3人は常に私のそばにいるようになった。

私自身はある日、天照が現れて強烈な光を送ってきた。しかもチャクラを順番に調整してきた。
その力強さによって私はなんら物理的根拠をもたないこのワークを実現することの意味を再認識した。

伊勢に行き、斎王の森の遺跡で檜のエッセンスを使ってイニシエーションを行う。
これがライトワークのおもな内容だった。

降りたのは水にまつわる精霊やそれらが集う社を建てること。あとはなるに任せて現象を見守る。これはおなじみの手法だ。

斎王や水にまつわる様々なヴィジョンが事前にチャネリングされていた。

一緒に行く者もいることが感じられ、絶妙のタイミングで霊的にゆかりのある人が現れた。

移動はその人に任せることができた。

9月の中秋の名月、その日になった。

行けば確かな場所が見つかるはず。アメジストが助けてくれる。虹を呼べば各地の聖地を繋いでくれる。
檜のエッセンスは天地をその場にアンカーする。

台風が直後にやってきて手伝ってくれる。通り過ぎた後はすっかり次元が変わる。

森のちいさなスペースに四本柱がたちその上を水の妖精のような女性が絹衣をきて舞う。

ふたたび集う場となるためにそして再び本来の役目が開始される。



以後斎王さんはつねに私のワークに参加している。

一番格別だったのは、被災した石巻の大川小学校でのワークだった。

このときもかなりの念や霊が飛び交う中だったので不安は大きかったが、その地で命を落とした子らの解放が主目的だった。親や縁者や土地の嘆きのエネルギーが大きすぎて入り乱れて光になりきれないからだ。

前年の冬至の瞑想で受け取っていた無数のグリーンの球体はここで使うのだと思った。
そして斎王がそれを見守って助けてくれる、と。また、私の魂は不動明王によってシールドされた。

果たしてその地に行くと毎日のように嘆いて石碑に訪れる親たちの姿。

学校の敷地に行くときに赤とんぼが数匹飛来し、やがて無数の赤とんぼに私は囲まれた。
一緒に行ってくれた親子は、私と少し離れたところにいてくれた。

2013年白神
眼を閉じてグリーンの球体を放つ。このとき斎王は大きくなって優雅に天に存在した。

トンボが受け取り持ち去っていく。子供らに渡すためだ。もしくは子らがトンボに乗っていたのだ。
霊的な球体に乗ってさらに高みへ昇っていく。笑顔で。斎王らは子らと戯れる。

眼を開けると無数の赤とんぼは全くいなくなった。

どーっと風が吹く。


今年2013年は
伊勢の祭事が進行している。
格別の年だろう。

思いがけず人々も集まっている。

役者が揃ったのだから当然だ。






2013-10-23

りりの庭~虹の温泉


ああーいいお湯だこと・・・

極楽極楽

この温泉は・・・・

じゃじゃん!

オパールのようだね~

そうオパールの中でもウォーターオパールっていうお高ーい輝きの一品だねぇ

私のお気に入りだよね・・・


りりちゃん?何してるの~?

え?もうすぐできるよ~待って。

何ができるって?

そのまま池(!)に浸かっていてよ

ほーい
いくよ~~♪♪

うーんわおー虹がかかった

よくかかる庭だよね
ここは

いつかのなりすましバクテリア爺ちゃん一向も
りりが運転するバスに乗ったら虹のアーチを走って行ったけ・・・

おおお
虹がだんだん太くなる~
いや迫ってくる~

どばーどばーしゅわーしゅわー

滝のようだ
虹の滝

あたってるのに水の重みと違って軽いな~

楽ちん修行

ほーほーますます気持ちいいではないか・・・♪

上を向き顔に当てる
オパール温泉に浸かり虹の滝にあたる

どこかのおとぎの世界かな



りりちゃんが必殺仕事人になって滝をつくる作業してる

あのさ・・・君ね

どうして和風なのさ
こう北欧風とかさ、ギリシャ風とか、そうそうローマ風とかあるでしょ

だって、

ああーいい湯だな♪ははん
いい湯だな♪ははん

極楽極楽って言ってたじゃん
えへへ

わたしゃ歌ってませんよ!!歌ってません!

・・・・

だめだこりゃ


まぁいいけどね・・・








復活の斎王



斎王の歴史

それは女性が古来の神事に仕えるために欠くことのできないものだったはずだ。

この女性たちの浮き沈みは、実に多くのことを語っている。
斎王の森

日本人の神意識の変化もそのひとつといえるだろう。

律令制の世は、女性の神官を常置することを必要としなくなった。

斎王らはそうして封じられた。

封じられたものは解かれるときが必ず訪れる。

それが昨年2012年9月だ。

それを解くものの存在がたびたびそこを訪れ、密かにカギを外す。

その霊性は解き放たれた瞬間に羽ばたきをもって舞い、光のマスターとなった。

そして今さらにその存在が明るみに出るときがきた。

今再び伊勢の祭事に参加している。天照に仕える。吉祥天とともに舞う。

水の流れを見守る。子供を見守る。

そして日本列島の隅々を見渡している。

大陸を渡り世界の光なる存在とあいさつを交わしている。

宇宙にまてそれは届いている。

まだ気づかないライトワーカーも多いことだろう。

やがて皆の知るところとなる。

もうすぐ。



2013-10-21

周波数を読む



矢継ぎ早に何かが通り過ぎるみたい。

季節の廻りもこれに合致しているようです。

しっかりグラウンディングしたいですね。

今年も残すところわずかとなりました。




このところは本当に人によってそれぞれの展開のはずです。

本当はいつだってそうなのです。

私も僕もというようなことではないのです。

互いの展開を尊重する、そのことが大切ということでしょうか。

何かに乗り遅れないように生きるというのはやはりちょっと悲しいでしょう?




楽しいセッションが続いています。

お悩みのようで実はそうではないということもはっきり伝わってきていますよ。

すばらしいインネイト(Innate Wisdom)を皆さんお持ちなんですね。

歳を重ねたことでより磨きがかかっていくことも真実です。

それぞれの展開に敬意を持ちつつ感謝です。














2013-10-18

観る


子供のころ
そう幼稚園です。

このころわたしは、すでにいっしょに行き来していた近所の子になにやらうん蓄を述べていました。

かなり迷惑だったろうな・・・。

内容的には哲学的なものでマクロな法則みたいなものでした。

相手はさすがに黙るしかないですね。

そうしてわたしが今度は黙りつづける道を歩んだのです。

といっても半分死んだふりみたいな生活だったようです。その半分のおかげでわたしは今を回復することができたようなものです。

長く待ち望んだこの今にようやくやってきたものの

ブレーキをかけ過ぎたことも事実で肉体レベルで摩擦がおきています。

再生不可能な臓器が痛んで目に見えない、聴こえない悲鳴をあげています。

そろそろおまじない(??)が効くころになりましたが、時間のある空間に所属しているのが肉体なので

波長が整うスピードが間に合うかどうかというところでしょうか。

これを書くことでおまじないのスピードアップを祈ってみます。



やはり・・・・ただ観ている・・・というメッセージです。現象を見守る。おだやかな眼差しで、ということです。

これは観音のしぐさと等しいものです。



身体の波長が整ったところでかつてと同じ生活をしたら、それは自分を粗末に扱うことなのでそうしないことに決めている。

天(宇宙)から降りるメッセージ(エネルギー)はあるのだ。でもそれをどのようにこの地球に整合させるかは自身の翻訳によるのだ。




2013-10-12

ゼロの幸福


次なるエッセンスの下ごしらえ。

というか、これはこれで使える~。

このところのワークで採取した木々から作りましたよ。

これをですね・・・さらにですね・・・・

楽しみは続くのね。



ケヤキと桜の木皮と葉でつくりました。

グリーマンエッセンスにもそれぞれこの木はジャパニーズのシリーズとしてあるのですが。

ワークのエネルギーの中で採取していますので、少々様子が違うみたいです。

大変色が濃いものとなって・・・これはエネルギーとしてのカラーです。見た目はブランデーと水。

プロセスのひとつのエッセンスですが名前が降りました。

「ゼロの幸福」

はー?

って感じでしょうか?

一般的な印象は、清貧て感じかな、何もなくても幸せ、みたいな。

いいえ

これはそうではありません。

ゼロの地点とはチャクラでいうとアーススターといわれるところです。

第1チャクラのさらに下ですね。

地球との接点みたいなところ。

そして

新生地球のゼロ地点、

それは幸福からスタートするのよ~

簡単にいうとこんなことです。

さらにお話は続く。

では。また。

*********************

グリーマンエッセンス~ジャパニーズツリー~

ケヤキ(Japanese Zelkova)
キーワード:友情
心のバランスを取り、関係を改善する。幸福感を増す。何が真実で価値あるものかを見る。

サクラ(Japanese Cherry)
キーワード:団結
思いやりとエネルギーの適切なつながりを維持する明快さ。寛容と直感的な洞察。平和と帰属意識。

「グリーマンエッセンスオフィシャルガイドブック」より抜粋







2013-10-11

自由の瞬間~斎王~


いろいろなところに封じられてきました

歴史の遺物のなかにとどまって

それもいいかもしれないと

それでも

今はもっとさらに

拡張し

羽根を広げ

自由になっています

私たちはどこへでも行けます

留まることも

突き進むことも

やすらぐことも

すべては完全に自由になりました

ありがとう

わたしたちは西の大陸のはずれにもいたことがあります

そしてはるか宇宙の彼方にも姉妹がいます

瞬間

この瞬間

わたしたちはいつでもそことつながることができます


         ~   斎王 ~ 

 チャネリングby Lili




似た周波数はすべて地球規模、宇宙規模で連携し解かれています。

さらに自由になりました。

なにものもそれを阻むことはできません。

長い歴史の眠りから解き放たれた神聖な魂はどこへてもいきます。

もはやそれに「ついていく」こともできないでしょう。

自らがそこへ出て行かないかぎり。

これは船出と似ています。

「連れて行ってくれ」と頼んで乗れる船ではありません。

自ら望んですすむのです。

あなたは自由なのですから。





2013-10-03

グリーンで包もう~その9 東京浄化

先日の昭和記念公園に引き続き

今日は立川断層近くか、もしくはその真上に位置すると思われる駐車場にての光のお仕事。

桜の木が四面を囲む。

ひとつのグリットを形成している。かなり古い桜の木々が囲んでいる。苔むした幹、だれも振り向かない季節の桜だが、今まさに活動開始している、そんなエネルギー。

駐車場なのでまずど真ん中に駐車。

伊勢神宮
桜を柱にみたてて依代とし、これまで連続して繋いできたエネルギーを各地で同時におこし、意識の大祭典をやってみる。

見た目かなり地味・・・汗

あとからわかったことは、この日は伊勢の遷御の儀だった。それでこの日にやるというメッセージだったのね。

意義はそれぞれきちんとあってここの東京での数回のワークがあった。

井の頭公園弁財天
昭島湧水地諏訪神社
昭島湧水日吉神社 おねいの井戸
皇居東公園
六義園
昭和記念公園

自然な水の流れにエッセンスを1滴、これらはジャイアントセコイヤなどを調合したエッセンス。
今年夏に地球に降りてきたエネルギーキャッチに優れている。

そしてだれでも使える大調和を意図していて「エメラルドの光」と名付けた。だれでもエネルギー体の調整につかえ、またさまざまな状況の調和にも一役かってくれるエッセンス。高次とつながって作るので完成度は他の人が作ったものとはかなり違ってくる。

昭和記念公園ではケヤキ、今日は桜にふれたので「エメラルドの光」につづくエッセンスのレシピが降りてきた。

「幸福、至福のエネルギーをアンカーするエッセンス」
良いね~

これから年末に向かって降りてきている。幸福感や至福感、感謝といった本当はなによりも欲しいと望むエネルギーではないかしらねー。これを感じ続けられるなら、物質的なものはなにもいらないとさえ思えたりするだろう。


***

さくらの結束
初秋、
観に来る人は私だけ
葉や幹を見て回る
自ずと正方形を歩く

暖かい
準備開始
目標設定
力強い協力
自然な一致団結

天を観る
深さを観る
隣を観る

笑い合う
循環の意味を知る

***


東京の集合意識はよからぬものの温床・・・。
そうともいえるが
それを楽しんで利用していた輩もいたわけで・・・。

これ瞑想で数回観た。

事前に降りたシュミレーション(?)では黒い雲の塊が様々な光線によってきれぎれになって散っていくというもの。

今回もそのようなながれであった。

昨年から続く遠い地域も虹でつなげる。そして虹の波長に共振してそのエリアを広げる。

伊勢神宮、出雲大社、富士山、白神山地、岩木山神社、
その後
東京(昭島湧水地諏訪神社、井の頭公園池 弁財天、皇居東公園、六義園、昭和記念公園、
立川の桜で囲む四方形駐車場)

東京は特にいちいち水の流れを調べたり、取水先を確認したりもして、水・緑・天のエネルギーが虹の円弧と結ぶように意図してみた。

おかげて今日は虹がいっぱい。

でも黒ーい水たまりも観ていたのでどうなるものかと思っていた。
使い古しているとはいえ日本の社会の大部分をになう巨大エネルギーの闇(人工的仕掛け)の溜まり部分。

虹が差し込み、虹の龍が舞う脅したり脅されたりの男性性世界。
勘違いの権威だの、個人のメンツだの、会社のメンツだの競争だけでは飽き足らず不当なタックルもくりだされる。殺伐とした不毛。

はじめスモッグ(?)かしらと思ったがそうでなかった。このひと月はその集合意識を堪能したといってよい。
始め怖かったのは確かだが、歴史に裏打ちされていることもわかったので、かえっておもしろかった。
ワーク中の一瞬晴れ間が広がる。なにやら険しい表情の神々、四天王系ですね。

私の現実歴史では、まわりがやたら男性だったということもまんざら役に立たないわけではなかったようだ。

また、この数か月間のライトワークにご協力くださり、心を添えてくださった方々に感謝です。

来年の桜が楽しみ。