その目的はなにか?
目的的な思考の見直し。
ランボー(1854~1891)の後期の詩、イリュミナション(幻視)(1872年)から抜粋してみた。
下記の「或る理性」の”理性”と「精霊」の”彼奴”(精霊)は同じものを指していると考えられる。
精霊を理性とするところはなかなか近現代では承知しないだろうことだが、それをランボーは難なくやりとげている。
すなわちそれは「新しい愛」ともいう。
今にいたってもそれはなんとも輝かしい愛そのものではないか。
*
或る理性に
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太鼓に対する君の指の一触があらゆる音をおびき出す、
そして新しいハーモニーを始める。
君の一歩こそ、新しい人間たちの起床だ、また出発だ。
君の首が横を向く、すなわち新しい愛情だ!
君の首が横を向く、すなわち新しい愛情だ。
「時間から始めて、僕らの運命を変えろ、災難を篩(ふる)え。」と、
その子供たちらは歌っている。
「何処にでもかまわずに、僕らの運の実体と僕らの願望を築け」、
人々が頼んでいる。
永遠の奥から来て、君は何処までも行くだろう。
*
精霊
彼奴は愛情だよ、そして現実だよ、なにしろ自宅を開放して泡立つ冬さえ、騒音の夏さえ、迎え入れたほどだものーあらかじめ飲みものや、食べものまで潔めておいた彼奴だもの、
―不安な土地の魅力となり、宿場宿場で超人的歓喜となってくれる彼奴だもの。
―彼奴は愛情だよ、そして未来だよ、力だよ、愛だよ、僕らが怒りと屈託の間に立って、空しくそれが、嵐と放心の空を過ぎ去るのを眺めるだけなのだ。
彼奴は愛だよ、再発明された完全な尺度だ、素晴らしいが誰も予期しなかった理性で、また、永遠なのだ、言わば不可避な能力ゆえに愛される機械なのだ。
(中略)
僕らが彼奴を思い出すのはそのためだが、彼は旅を厭わず来てくれる・・・・。万一崇拝が薄らぐようだと、早速わめき出す、彼奴の約束がわめき出す。「ひっこんでいろ、そんな迷信なんか、そんな古くさい肉体なんか、そんな所帯じみた生活なんか、そんな世代なんか、崩壊し去ったのは実は現代なのだぞ!」
(略)
新潮社文庫 堀口大學 訳 「ランボー詩集」 イリュミナション より抜粋