そこは生気を回復するところ
光をエナジーを受け留める樹々の力
意思を持つかのような祈祷の枝
しなやかに舞い降りる
雨のような潤いと惠
恢復の雲
頭上の扉を信じれば
巡礼するようにさらさらと吹く
天の入り口
あたかも知らなかった時のほうが一瞬のできごととなる
薄い水色の
若葉の緑色の
光る白の
それは確かな深い懐
安心の
安全の
柔らかい
沈まない
消えない
あなたのこころを
取り戻そう
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貴船神社
7月25日
時間を外した日といわれる。
昨年は仕事であった。朝から出勤時間ぎりぎりなのに慌てるということがなかった記憶がある。
一方で落ち着かないという人もいるのだろうか。頭だけで知っているのと感覚で知るのとでは全く違う。
今年のこの日、貴船神社にいた。
気生根とも書く。また貴布禰とも書く。
女性性の強いエネルギーに満ち満ちでいる。
平安時代の歌人、和泉式部は夫の心が離れていくのを悲しんで貴船に参ずる。
和歌が残っている。和歌は、「後拾遺和歌集」におさめられている。
ものおもへば
沢の蛍もわが身より
あくがれいづる
魂かとぞみる
(あれこれ思い悩んでここまできますと蛍が貴船川一面に飛んでいます。そのはなかい光は、まるで自分の魂が体から抜け出て飛んでいるようです。)
返歌もある。
おく山に
たぎりて落つる滝の瀬の
玉ちるばかり
ものな思ひそ
(しぶきをあげて飛散る奥山の滝の水玉のように魂が抜け出て飛散り消えてゆく、死ぬかと思うほどそんな深く考えなさるなよ。)
この返歌は男性の声で和泉式部の耳にとどいたそうだ。貴布禰の明神からの御返しだとされて伝わっている。
川の反対側は鞍馬山である。その頂上から少し貴船川側に下ると魔王殿がある。
声はこの付近からだろうか。天からの声はその人にふさわしい形で降ってくる。
和泉式部の悲しみの中での力のあるチャネリングだ。
そして平安の昔に詠んだ歌として今に残り、私たちの目に耳に語りかける。さらに昔からそこに降りていた大いなる存在を示してくれた和泉式部の役割はとても大きい。
彼女自身もまた女神なる存在として数えられてよいだろう。