2012-03-10

祈りの欲求

2011年3月11日は東日本大震災の日です。
1945年3月10日は東京大空襲の日です。

この2日間を私たちはどうやって過ごせばよいのでしょうか。

母は、東京大空襲の日、世田谷にいました。6歳くらいです。学童疎開せず死ぬなら家族みな一緒、という祖母の判断だったそうです。祖父は徴兵されて大陸にいたようでした。

母が見た空襲の記憶は、子供のころの鮮烈な記憶であったに違いなく、母の言葉の断片から、私は絵のようにその「風景」を頭に浮かべそして記憶しました。

私に記憶された「風景」は、その後の歴史知識とともに色を持ち細かさを増し何度も書き換えられ描きなおされたかもしれません。
それでも私にとっての東京大空襲は、母の記憶が出発点となっています。

私は、それをまた誰かに伝える機会を得てきました。
何と不思議なことでしょうか。
それを話すときの私のすぐそばに母をいつも感じます。話す予定がないときにもそれはあたかも決まっていたかのように人前に立つ緊張した私の思考に突如として働きかけるのです。

ほんの数分私は、まるで自分が体験したかのようにその記憶の「風景」を語るのです。その時の確かな信念は、確かな自信ともなって数分間の私を支えます。

そして今もう一つ、そこに「祈り」があることにも気づき始めました。

私が伝えた「風景」は、話したそばからすぐにも色あせていくことでしょう。
しかし、その無力感は、すぐさま「祈り」の機会として書き換えられているのでした。

ただ「祈る」欲求をよべばよい、と幸せな納得をするのです。