被災の果てに
被災の果て
あなたは何も悪くない
悲しみ
苦しみ
後悔
怒り
孤独
無力感
不安感
絶望
いいえ
罪悪感
なぜなのか
わからなくても
あなたは何も悪くない
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八王子市信松院境内にて |
桜を観る
桜は、日本人に必要な花木です。
見上げるとそこに揺れている花玉、隙間の空も一緒に見上げる。水面に映ろうとするようにはり出した桜の枝。
私たちは桜の景色を決して忘れない。
満開の桜の花房は、一瞬どこか強固にそこにあるような気がします。しかし、やがて丸い輝きの妙は、ひらひらとそのかけらを散開させるのです。
その下に立ちたいと私たち誰もが毎年願っています。不思議な共通項ですね。
桜は、私たちを結びます。
まだ蕾の堅い3月からその場面を想像し、身をゆだねてみたりします。どこの桜かはそれぞれの好みです。有名な名所を訪れたいと思う人も多いことでしょう。近所の桜の木の中にお気に入りがあるかもしれません。または、切られてしまった桜を思う人もいることでしょう。
山々に若芽が萌えだすころ、その霞のはざまには、山桜を見つけます。その風景は私たちを古くゆかしい時代に回帰させます。そして同時に未来も考えていることにも気づきます。薄い若草色は2,3日のうちに輝く新緑へと変化します。その生命力とともに桜の淡い薄紅にうっとりと同化します。
風にも気づきます。このころの風はまた格別で、私たちを別の世界へいざないます。木々の梢にふんわりとたたずみこれも一瞬で通り過ぎます。
風は、雲を動かし輝く空の”くう”を映し出します。
桜の木肌は、なんともいえない雰囲気です。花の影のせいでしょうか。湿った墨のような黒をたたえ、私たちを誘惑します。行ってその肌に触れたい、でも何か罪のような気がして手を止めたりします。それほど神聖な波動を伝えてきているのです。
私たちは桜を見て、その雰囲気、輝き、かおり、美、精気を受け取ります。
そして次の日からの未来を潤し、翌年の桜に会う日を約束するのです。
*上記作品投稿後、下記の活動に出会いました。