突然うかんだ畳の青さの記憶は、梅雨前の作業として集中していたりした日本の習慣だからだろうか。年越しのための作業でもあるから寒さに向かうときも思い出すのだろうか。
現在は、ほとんど本物の畳床にお目にかかることはなくなってしまった。
職人さんの作業を見つめるのが子供の時から大好きだった。今もそうだ。旅先では、たいていは、博物館、史跡、寺や神社を訪れる。そして民芸品。とりわけ焼き物とくれば、産地であれば外せない。買わなくても見て回る。そして、窯元などに寄ってしまったときには、作品を観ながらの長いトークに陥る。職人さんたちは、実に熱心に説明してくださる。
たいていそのとき私は、職人さんの表情とともに手の動きを見る。これがなんとも器用そうで研ぎ澄まされた魅力あふれる手なのだ。そして職人さんたちは、なんで私にと思うくらい熱弁になってくれる。そうした会話や情報は、実に私を暖かく幸福にしてくれた。
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作業は同じことを繰り返していくが、今度はどこの畳かとか、目が詰まった畳に大きな目打ち棒を突き刺して持ち上げるときの姿勢の軽やかな美しさなど、なんいうか、やはり、堂に入っているのを発見するとまだまだ楽しみは延々と続くかのように、絵本の新しいページをめくるように新たな目撃がスタートするのだ。
真新しい青い畳の香り、井草とはこうしたものだとうなずけさせてくれる、植物の説得力のようなエネルギーが今も記憶とともに蘇る。
小さな子供がじっと見つめていても職人さんは眼もくれず黙々と作業を進める。むしろ見せてくれている、といった感じだ。今から考えると、プロの職人さんは見習いには、作業を見せて技術を自分から学び取れ、というような姿勢を見せる、ということを体現してくれていたと思う。弟子との関係において技術の伝授で、なんでもかんでもレジメにしたりしない、見て学び、やって学び、学び方も弟子自ら工夫していく。
それにしても豊かな青い香り、入梅の芝生の風景、熟成した緑の木立ちとそばを流れる小川のせせらぎの風景を予感させる。
すっかり仕上がったときの部屋は、新しい家に変わったかのような錯覚をおこさせる。たったの六畳と四畳半ふた間の貧しい家族。
「私はこの畳」と兄弟で勝手に畳の選別と分配をして騒ぐ。騒ぐな、暴れるなとたしなめる母の大きな声と、今の私よりはるかに若い年齢の父が薄っすら笑っている視線を背中に感じながら。