2016-05-22

広島の祈り その3 原爆の下


平和記念公園には多くの訪問者がいた


それでも静かだった

前日まで大雨だった広島の空は雲一つない快晴

ああ確かあの日も・・・


外国人は宗教色を除いた碑に向かって近づきすぎている


普通の公園での記念撮影と変わらない


手前に線香用の灰を入れた台が二つあるが

線香は供えられておらず

これは何だろうと訝しげ


案内は一切ない

ただ守衛がいるだけ


そして遠巻きに多くの警察


もうすぐ米大統領が来るからだ



私も遠目でそんな慰霊碑の様子を眺める



植え込みは主に楠だった


ベンチは日陰で涼やか


豊かに水を含んだ植え込みの土から香り立つのは水の精霊


そして一本の楠に呼び止められた気がした


幹にはシダが生えてまるでグリーマンの衣のようになっている


この木だ

私はしばらくその木のそばを離れられなかった


エネルギーがその木に降りてきている


たやすく準備のときに感じたエネルギーが降ってくる


そしてこれまで巡ってきた地域とのつながりを意図する



そのまま慰霊碑に向かっていった


まだ外国人は次々と記念写真を撮っている


そんなとき守衛の方が供えの花の向きを整えてそして一礼した


私はその流れに乗ってしばし黙祷した


イエスの姿が天高く感じ広くその白いエネルギーが注いだのを感じた

そして名も知らぬ何とも多くの高次の存在たちが群れを成している

その場に居合わせた人々にも降りたのだ





目を開けると周囲は誰もいなくなった



単純には私のことを被爆者の関係の人と思ったのだろう



そうやって

また公園内をめくり歩いた


イエスがくるのは準備段階でわかっていたが

どうしてイエスかはこのとき分かった

多くの外国人に親しみのあるイエスのほうがそのエネルギーを感じやすいためだ


イエスの思う平等と公正

愛は世界にとどいたか




帰り際

いつものようにエッセンス用に楠の葉をいただきたいと思ったが摘むことはできない


きっといつものように自然に手にはいるだろうと思い直した


そしてまたあの楠の近くのベンチに腰掛ける


すると足元に新鮮な葉のついた小枝が落ちていた