昨日起き掛けにふっと入ってきたメッセージは・・・・
「社会を手放す・・・」でした。
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いつになく厳しい冬でした。
まだまだ今年は変化がありそう。これまでの人生の精算ていうやつです。
といってもはたからはそう大それたことではないかもしれない。
ひとりの女がこどもも持たずひとつの職業をまっとうしようとしていたことが達成できなくなった。
青森三内丸山遺跡出土 |
何があってもやりぬく決意で臨んでいたことが中途で終わりそう。
ステージを変える必要があるのかどうか、まだ疑問。
今いるところが一番多くの人に出会える場所だっただけに。
実践を続けることで学ぶことも多かった。
私は身体が資本だということがこの地球の常識だったことに実は気づかずにいたのかもしれない。
人には散々言ってきたのに。
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「社会」も実は「社会」というマトリックスで集合意識を形成しているだろうけれど、人それぞれがそれぞれで観ているもの。
日本ではさらに世間と社会という二重の構造があります。欧米の近代文化と日本の近代文化の著しく違う点を解くともいえる視点です。
これは歴史学者の阿部謹也氏が非常によく考察されています。
職業を手放すというよりも自分か観ている社会を手放すことのほうがすっきりした感触が走りました。
我流出家生活準備中ということで・・・ちょっとわくわく・・・かもしれない。
参考:阿部謹也「「世間」とはなにか」講談社現代新書