鞍馬山の根っこの道を歩きながら、体力的には限界の私を強力にサポートし続けていたのは、そこに降り注ぐ膨大なエネルギーだった。
私には、このエネルギーに招かれて、このエネルギーを持ち帰り、富士山麓にむかうことが不思議な小さな使命のように思われていた。
何かの足しになればそれでよい。何かとは何か。心中を察してもらえれば、とただ思う。
なんとも蒸し暑い一日。たくさんの人とすれ違う。
読経する者、外国からきた家族連れ。挨拶を交わすもの。
金星から降ったといわれているサナトクマラのエネルギー。
角度は、ほぼ垂直に降りてくる。スピードも速いそして潔く力強い。オレンジからイエローの光。
台風で倒れたご神木を訪れると確かに折れて残った杉の木があった。
折れた木は博物館に展示されていた。すぐにその木に魅かれ前に座り、瞑想すると確かにサナトクマラのエネルギーとそしてそびえる杉の姿が浮かんだ。そのエネルギーが身体いっぱいに満たされて私は歩いていた。歩かされていた。
波動が高く中性的にも感じるがどちらかといえばそれは男性性のエネルギーともいえるだろう。
貴船に泉のように降りては巷にあふれている女性性のエネルギー、これはヴィーナスのエネルギーとも言われている。まさに対になってこの地域一帯に「在る」のだ。
「二つをはっきり感じ捉え、バランスを取ってバランスを得よ。これはあなたにとって人々にとって、地球にとって大切なことなのだ。」
私はふたつを同時に感じるように意図した。
再び歩き、実際に折れたその木の前に立つと、この木が折れたのは、ひとつの役割を終えたこと、何かのターニングポイントになる出来事であったことが感じられた。
そして今後はご神木たる木はないのだろうか、と思ったそのとき、カメラに収めた手前の細い杉の木が次の「それ」だと心の深部に伝わった。
繋がって、受け継がれているのだ。私は安心した。