2016-03-10

思考体エネルギー

長らく疑問であったことに気づきが訪れました


大げさ?

いや決して大げさではないと思う



スピ系では、感情の解放とハートを大切にというフレーズが並ぶことが多い


思考を止めて

とまで言ったり書いたり・・

違和感がずっとあった


思考をやめてハートに従えとかいう言い分は

おそらくハートの重要性を強調するためであり塞がったハートを開かなければならないという差し迫った状況が続いていることからだろう


そのため思考を引き合いにして語られることになった

思考よりハートだと

そうすれば本来の自分に目覚める

抑制された感情を過去にさかのぼって探しだし解放する

ハートセンターが大切なのは理解できる


怒りも恐れも思考でなくハートを通すことで違ったものに変化させることもできると


思考の役割がいらないくらいにまで言う人や活字があったりする


まてよ

それは本当か?

では思考はどうなってしまうのか

生まれたままの自分になって・・・とか


そんなこと言ったら人々の世界はどうなるんだろう


今すぐそれでどうなってしまうんだろう


世界中の悲惨な出来事は幻想だから見なくていい、考えなくていい

くらいのこと流布することは果たして正しい選択だろうか


明日の食糧に困っている子供が亡くなったらそれはその子の運命で
その子の選択なのだというのか


大震災で流された人々はすべて自分で選んだ結果だというのか


みな死ぬことで救われているというのか

それを聞いた母親はどう思う?
家族は納得しいきいき生きられるようになるとか?

あまりに短絡的だ、そう考えていない


思考過多は確かにしんどいことになることがある

だがそれが当てはまる人はどれだけいるのだろう

思考体は人間ならではのエネルギー体だ

これをどう使うのか

どちらかというとその切込みのほうがまっとうだ

思考体という存在を認めることから始めるのは今だからこそ大切だろう