連日の日本のスポーツ選手の光景に目をみはる。
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フィギュアスケートの羽生選手のあの状況、誰も出場を止められないというのはおかしい事態。ドクターもいないなんて。
日本人の医療スタッフがいなかったとしても中国側が常駐させておかなければ国際大会としてどうかと思う。
アメリカの医療スタッフに縫ってもらったなんていうのもなんだか国際関係を反映しているような。
さらにオリンピックチャンピオンだといっても19歳の未成年だということを忘れられていなかったか、と思う。
演技に賞賛を送ることでなにやら気まずさをごまかそうとしている大人が結構多そうだと思うけど。
それよりあのときもっと目を見張るべきはことはほかにもある。
見逃せないのは、怪我のあと、にわかに立ち上がって衝突したカン選手の状態を案じて様子を見に行った羽生選手の行動だろう。自分のことで精いっぱいのはずが他人への配慮を思いつき行動に移すあの態度。
これだよ、これ、政治や日ごろの生活で私が見たかったのは。
あの思いやりの心と行動こそ人間としての誇りだ。
結果的に何よりも発展的な日中外交になったはずだし、人間愛、人類愛を体現して見せたといえると思う。
背景にはやはり大震災の経験があるのだろうな。
羽生君(面識ないけど君付け!)の回復祈ります。
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テニスの錦織選手は堂々として日本人が幻想として持ちやすい「世界の壁」を感じさせないプレーと結果。
急激に名前がメディアに上がり始めたときには、嫉妬を隠さない日本男子コメントもあり、どうして日本という村をつくりそこにいたがるのか、半世紀以上生きてきた私にも理解できません。「錦織は、中学の時からアメリカにいるからもう日本人としての意識がないのだから騒ぎ過ぎ」とかなんとか・・・。
書いた方、そんなことがあるものでしょうか?ハーフでも自分の国に対するアイデンティーに悩むというのに。
嫉妬のほかのなにものでもない。似たような男子の嫉妬は、かつて堂々とヨーロッパで活躍するサッカー選手、中田にも向けられていたことを私はしっかり覚えている。がっかりするねぇ。
自分から壁をつくりあげているだけなのに、それが日本人なんだとか屁理屈つけちゃって。
日本らしさはいくらでも他にあるのだわ。こんなに歴史が深いのだから、どんだけ頑張ったって日本人らしさは抜けやしませんよ。背負わなくても自然に背負っているから気負わなくていいのだよ。安心しておくれ。
歴史の勉強してないからね。それは、学習指導要領で高校日本史が必修でなくなったことが相当大きいだろうねぇ。
錦織君の(こっちも君になってる!)プレーは体の小ささをカバーする技が研ぎ澄まされて美しい。
英語のインタビューは確かにかっこいい。
日本語のインタビューはさらにかわいい。